
SaaSにおけるLTVの重要性とは?計算方法や広告戦略について解説
- 戸栗 頌平
SaaS企業のマーケティング担当者には、他業界以上に「数字に強い力」が求められます。なぜなら、SaaSビジネスは一度に数百万円を売り上げるビジネスではなく、月額3000円〜数万円といった小さな収益を積み上げ、長期的に事業をスケールさせるモデルだからです。
一見すると収益性が低く、赤字が先行しがちなSaaSモデルですが、顧客に長期間に渡って利用してもらうことで、売り切り型のビジネスを超える収益を生み出す可能性があります。ここで重要となるのが、LTV(顧客生涯価値)とCAC(顧客獲得コスト)という2つの指標です。
本記事では、SaaS企業で広告運用やマーケティング戦略に携わる方に向けて、LTVとCACの定義・計算方法、なぜSaaS企業においてLTV/CACが特に重要なのか、LTVを高めるための具体的な施策、広告予算配分やROI改善への活用法について、徹底解説します。
LTV(顧客生涯価値)とは?
この章では、LTV(顧客生涯価値)とあわせて知っておきたいCAC(顧客獲得コスト)という、2つの用語の定義や考え方について、基礎から丁寧に解説していきます。
LTVの定義と考え方
LTV(Life Time Value)とは、1人の顧客がサービスを利用し続けることで企業にもたらす収益の総額です。LTVは企業の収益性を測る重要な指標として、成長戦略や投資判断、広告運用のROI(投資対効果)などに、幅広く使用されています。
“LTV(エルティーブイ)Life Time Value(ライフ・タイム・バリュー)の略。1人の顧客が取引を開始してから終了するまでの間にもたらす利益のこと。” (引用:インターネット広告基礎用語集(JIAA)) |
一顧客とはBtoBでは1企業、BtoCでは商材によって一個人、一家族を指します。取引期間とは、取引を開始してから終了するまでの期間なので、商材によって1年、5年、10年とそれぞれ異なります。マーケティングや広告運用の領域では、一顧客を獲得するのにかかったコスト「CAC(顧客獲得コスト)」とともに、適切な予算設定の指標に使われます。
LTVを算出するもっとも基本的な式は以下です。
- LTV = 平均購入額 × 購入頻度 × 顧客継続期間
なお、LTVには企業視点と顧客視点の2つの定義があります。企業視点では、企業に対して、1人の顧客が一生涯でもたらしてくれる利益の合計額であり、顧客視点では、顧客に対して企業がもたらす経済的価値や満足度の総量です。(参考書籍:LTV(ライフタイムバリュー)の罠 のはじめに)
もっと詳しく知りたい方は「LTV(顧客生涯価値)とは?言葉の定義や意味、計算方法や向上施策についてわかりやすく解説」の記事も合わせてご覧ください。
あわせて知っておきたいCACとは
CAC(Customer Acquisition Cost)は、1人の顧客を獲得するために必要なコストです。主に広告費や営業コスト、マーケティングツール費、展示会出展費用などが含まれます。
コストには、営業費用やマーケティング費用などが含まれます。主要なコストは以下があります。
- 広告費
- ウェビナー・セミナー・展示会費用
- マーケティング・営業部門の人件費
- 無料トライアル期間のサポート費用
- 各種マーケティングツール費用、他
CACを算出する基本的な計算式は以下です。
- CAC = 総マーケティング・営業費用÷獲得顧客数
どんなビジネスでも、顧客が生み出す売上げと顧客獲得コストのバランスは重要。特にSaaS業界は長期間の利用が前提のビジネスモデルなので、LTVを把握することがCACの最適化、ROI(投資対効果)の最適化につながります。
なぜSaaS企業はLTVとCACを重視するのか

SaaS企業では、LTVとCACのバランスやCACの回収期間が非常に重視されます。なぜなら、LTVとCACの比率やCACの回収期間によって、その事業が健全に収益を上げているか? 将来どのくらい成長できるかが、ある程度予測できるからです。
- 企業の収益性を測る重要な指標である
売上げがいくらあっても顧客獲得のために営業・マーケティング費用をかけすぎれば収益は上がりません。SaaS企業は、常に売上げや収益に相当するLTVと、顧客獲得単価に相当するCACの推移を追いかけることが重要です。
一般にLTVがCACの3倍以上のビジネスは健全といわれます。一方、CACの比率が高かったり、年々増加したりしている場合は、新規顧客の獲得が難しくなっている可能性があります。また、LTVが下がっている場合、顧客のリピート率や契約継続率が低下している可能性があります。
LTV / CAC > 3 | 収益性が高く、ビジネスとして理想的 |
LTV / CAC = 1.5〜3 | 成長可能な水準 |
LTV / CAC < 1.5 | CACを下げるかLTVを高める必要がある |
※業界により理想的なバランスは異なります。
米国でBtoB SaaS企業などの投資に力を入れているベンチャーキャピタルMatrix Partnersがブログ上で出しているデータによると、トップレベルの SaaS 企業は LTV 対 CAC 比率が 3 を超えており、7 ~ 8 に達することもあるようです。その場合、 5 ~ 7 カ月で CAC を回収すると指摘しています。
また、CAC 回収期間は収益性に大きな影響を与え、以下のように 12 カ月を超えると(赤、緑)、収益性が低下することも指摘しています。

(参考・画像出典:SaaS Metrics 2.0 – A Guide to Measuring and Improving what Matters)
- 事業の成長戦略を設計する上で不可欠
顧客獲得のためのマーケティング、投資費用は最終的に回収する必要がありますが、投資を抑えすぎては事業は成長できません。投資すべきタイミングで投資をしなければビジネスチャンスを逃します。
しかし、この判断を何の指標も参照せずに行うわけにはいきません。広告戦略やマーケティング施策を考える際に、LTVとCACのバランスを考慮する必要があります。広告ならLTVを把握して逆算して適切なCACを知ることが不可欠です。
前述のようにLTV / CAC = 3が健全といわれるので、たとえば LTV / CAC = 5 の顧客層に向けて広告を展開する場合、広告費を増やしても十分利益を維持できるでしょう。逆に、LTV / CAC = 1.5 の顧客層に広告展開する際は、投資を極力抑える必要があります。
また、企業としてLTVを上げる努力を並行して進めることが重要。カスタマーサクセスチームを強化し、オンボーディング時の解約率(チャーンレート)を下げる施策を実施することや、アップセル・クロスセルにつながるような施策を実施していく必要もあります。
- 投資判断の指標としても重要
LTVとCACの比率は投資家にとって企業を評価する重要な指標。ベンチャーキャピタル(VC)や金融機関は、ユニットエコノミクスが成立している企業(LTV > CAC)への投資を好みます。
特にSaaS系スタートアップが資金調達を行う際、ベンチャーキャピタルは「LTV / CACが3以上であり、CAC回収期間(Payback Period)が1年以内であること」 を評価基準にする傾向があります。(参考:Law 5: Master the 5 C’s of cloud finance」Roadmap: 10 laws of cloud)
- 広告運用のROI(投資対効果)を最適化できる
広告運用に携わるマーケティング担当者の中には、日々広告予算の割り振りに頭を悩ませている方も多いのではないでしょうか? また、外部の広告代理店のコンサルタントであれば、クライアントの適切な広告予算配分を提案するプレッシャーはかなり大きいでしょう。そんな方々に役立つのがLTVやCACという指標です。
たとえば、LTVは顧客グループごとや商品ごとに算出することもできるので、CACがLTVの30%以内の顧客グループであれば、広告投資を増やしても回収可能と判断できます。LTVが低い顧客グループに対してはリターゲティング広告などで顧客獲得単価(CPA)を抑えるなど、バランスのよい予算配分が可能になります。
顧客グループではなく商品ごとにLTVを算出しておけば、商品ごとの広告展開の際に同じように判断可能。もちろん、そのためには自社の顧客のLTVを把握するとともに、リスティング広告・ディスプレイ広告・SNS広告など異なるチャネルでのCACを比較できるようにする必要があります。その上で費用対効果の高い施策にリソースを集中させることが大事です。
SaaSにおけるLTVの計算方法
LTVの計算方法は多岐に渡り、ビジネスモデルや業種によって異なるため、ここでは主にSaaS企業が活用できる計算方法や、その式に使う指標の求め方について解説します。
SaaSにおけるLTVは 平均顧客単価 × 平均顧客寿命
LTVのもっとも基本の計算式は、以下です。
- LTV = 平均顧客単価 × 購入頻度 × 顧客継続期間
SaaS業界は月額課金が一般的であり、解約の可能性もあるため、ARPU(月額利用料平均)、 ACL(Average Customer Lifespan 平均顧客寿命)を使った以下の式で算出するとよいでしょう。
- LTV = 平均顧客単価(ARPU) × 平均顧客寿命(ACL) ※2指標の説明は後述
なお、上記計算式のLTVは「売上ベース」でシンプルに算出した総額ですが、実際の事業採算を考えるなら粗利益を掛け合わせた「粗利益ベース」で考慮するとより正確。たとえばSaaSの原価にはサーバー費用やサポート人件費などが含まれるため、それらをコストを差し引いた粗利益ベースで計算することで、より実態に即したLTVが得られます。
平均顧客単価(Average Revenue Per User)とは
平均顧客単価(ARPU)とは、顧客1人あたりが1回の取引で支払う平均金額のことです。
“ARPU Average Revenue per User の略。加入者1 人当たりの一定期間内の平均収入。” (引用:インターネット広告基礎用語集(JIAA)) |
SaaSの場合、一般に毎月課金するモデルなので「1回の取引=月額利用料」と解釈できます。なお取引額には、定額のサービス料だけでなくオプションサービスの利用料もすべて含まれます。計算式は以下のとおりです。
- ARPU=売上高÷総ユーザー数
平均顧客寿命(Average Customer Lifespan)とは
平均顧客寿命(Average Customer Lifespan)とは、平均してどのくらいの期間サービスを継続利用するか を示す指標。顧客が取引を開始し解約するまでの期間の平均です。
寿命が長いほど顧客から得られる総収益(=LTV)は大きく、逆に短い場合は新規獲得に頼らなければ売上げが維持できないため、ビジネスの安定性に欠けます。
計算には通常チャーンレートを用います。
- ACL=1÷チャーンレート
チャーンレート(Churn Rate)とは
チャーンレートとは解約率という意味。チャーンレートが低いほど、顧客との取引が長く継続しているということであり、購入する期間が長くなればLTVは大きくなります。カスタマーチャーンレートとレベニューチャーンレートの2種類があります。
カスタマーチャーンレート
一般に使われるのは顧客数ベースの解約率であり、以下の計算式で算出します。必要なデータは解約顧客数と期首顧客数のみなので、専門知識がなくてもすぐ計算できるでしょう。
- カスタマーチャーンレート=(一定期間で解約した顧客数 ÷期首の顧客数)×100
たとえば、月初に100社合った顧客が月末までに5社解約するなら、カスタマーチャーンレート(顧客解約率)は月5%となります。
SaaSは、少額のサブスクリプション収入を多くの顧客から積み上げることで収益を確保するビジネスなので顧客数が減るとその影響が即座に売上げに響きます。カスタマーチャーンレートを日々注視し、顧客の離脱傾向を早期に捉え、プロダクトの改善やサポートの強化につなげることが大事です。
レベニューチャーンレート
レベニューチャーンレート(収益ベースの解約率)です。MRR解約率とも呼ばれます。
計算式は以下のとおり。一定期間に失った収益(通常は月次収益であるMRR)を、期間初めの総収益で割って計算します。
- レベニューチャーンレート = (失ったMRR ÷ 期首のMRR) × 100
たとえば、期首のMRRが100万円で、その月に解約やダウングレードで5万円分の収益を失った場合、レベニューチャーンレートは (5万円 ÷ 100万円) × 100 = 5% となります。
レベニューチャーンレートは顧客単価の変化やアップセルによる増収減も反映できるので、複数の料金プランがある場合やアップセル・ダウンセルを考慮する際には、こちらのほうが実態をより反映できるでしょう。
ただ、レベニューチャーンはアップセルが多いと値が小さくなったりマイナスになったりするケースもあり、計算上LTVが発散する恐れもあるため、一般には カスタマーチャーンでシンプルに算出します。必要に応じて収益チャーンも併せてモニタリングするとよいでしょう。
平均顧客寿命とチャーンレートの関係
平均顧客寿命(Average Customer Lifespan)とは、顧客がどのくらいの期間サービスを継続利用するかの平均です。取引開始から解約までの期間です。チャーンレート(解約率)の逆数で求められます。
- 平均顧客寿命(Average Customer Lifespan) = 1 ÷ チャーンレート
解約率が改善されれば、平均顧客寿命が伸びて顧客生涯価値(LTV)にもポジティブな影響を及ぼします。チャーンレートが1%は長期的にはかなり収益に影響しますので、SaaS企業にとっては非常に重要な指標です。
前述のMatrix Partnersの見解では、SaaS の解約率を半分にすると、累積純利益は 2 倍になります (右側のグラフ)、LTV (顧客の生涯価値) も 2 倍になるというデータも紹介されています。

(出典:https://www.forentrepreneurs.com/saas-economics-2/)
SaaSにおけるLTVを向上させるための戦略・施策
では最後にSaaSビジネスにおいて、どのようにLTVを向上させることができるのか、その戦略と施策を見ていきましょう。
1. 顧客単価を向上させる
顧客単価を向上させるうえで、もっともイメージしやすいのは値上げかもしれません。しかし、価格アップは顧客の離脱にもつながりやすいので、慎重にタイミングを図る必要があります。顧客単価を向上させるには、一般に、以下の方法があります。
- アップグレードの提案
- オプションサービスの提案
- 価格バンドル戦略
- 価格戦略の最適化
- 新サービスのリリース
サービスの品質をあげるだけでなく顧客の選択肢を増やすことで、現在のサービスに満足している顧客は維持し、より高度な機能を使いたい顧客のニーズに応えられます。
2. 顧客寿命を延長する(解約率を下げる)
顧客維持率を5%向上させることで利益が25〜95%増加するという、Bain&Company社が提唱する「5:25の法則」はよく知られています。顧客寿命を延長するとは、前述のとおりチャーンレート(解約率)を改善する施策と同じです。チャーンレートが1%変化するだけで、MMR(月間経常収益)は、以下のグラフのように大きく異なります。

(出典:https://www.paddle.com/resources/negative-churn)
顧客はさまざまな不満で離れていきます。不満はなくとも魅力的な他社商品が出てくれば離脱の可能性は高まりますので、まず離脱する理由を特定して対策を実施しましょう。そのためには、顧客アンケート調査やBain&Company社が開発したNPSの実施が役立ちます。
自社のCX(顧客体験)のボトルネックを特定し、そこを強化しましょう。たとえばオンボーディング時に離脱が多いのであれば、顧客によりそってサービスを活用し成果を出してもらう「カスタマーサクセス」を強化するなどの方法があるでしょう。
3.粗利益率を高める
粗利益率とは、売上げから家賃や通信費、サーバー費用などの固定費に相当する原価を差し引いた利益率です。

◆原価に相当する費用
- 家賃
- サーバー構築費用や管理費
- ライセンス費用
- 通信費用
- 開発・保守チームの人件費
SaaS企業は一般企業よりもここにコストはかからないのですが、営業、マーケティング費用だけでなく、この領域のコストを適正に抑えることも収益を上げるためには重要。定期的に見直して粗利益率を上げることが、LTVの増大につながります。
※もっと詳しく知りたい方は、「LTVを最大化させる3つの基本戦略とは?具体的な向上施策と重要指標についてわかりやすく解説」の記事をご覧ください。
まとめ
SaaSビジネスは売り切り型ではなく、継続的な利用によって利益を得るビジネスモデル。赤字が先行するなか経営者は適切な投資を行い、マーケティング担当者も適切な広告運用によって売上げに貢献することが求められます。これは、一般社員であるマーケターにとって非常に難易度が高く、責任の大きい仕事だといえるでしょう。
しかし、LTVとCACを把握することで、ターゲットごとあるいはチャネルごとに適切な予算の割り振りの判断ができるようになります。また、定期的にLTVとCACのバランスやCAC回収期間を振り返ることでマーケティング施策の成果を正しく検証できるでしょう。
豪州ビジネス大学院国際ビジネス修士課程卒業。複数企業と起業を経てBtoB専業マーケティング代理店へ。その後、外資SaaSのユニコーン企業の日本法人立上げを行い、法人営業開始後マーケティング責任者として創業期を牽引。現在、日本のBtoBマーケティングの支援事業を行う株式会社LEAPTにて代表取締役。また、株式会社Shirofuneの外部マーケティング責任者を兼任。